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OUR STORY

KIYOAKI
SAITO

  • 斎藤清昭について

  • ガチガチ頭をガツンとやられた
    新社会人時代。

  • パワーリハの教育は、
    僕のライフワークになる!

  • 僕自身が作り上げたものが
    次のチャレンジの邪魔をした。

  • 50歳を前に生まれた
    新たな夢。

  • 経歴

  • STORY01

  • STORY02

  • STORY03

  • STORY04

ポポ・ケセラセラCOO

齋藤 清昭

NSCA認定パーソナルトレーナー(CPT)
NSCA認定ストレングス&コンディショニングスペシャリスト(CSCS)
日本自立支援介護・パワーリハ学会 関東支部 運営委員

1999年よりパワーリハビリテーション開発プロジェクトや介護予防モデル事業(包括的高齢者運動トレーニング=CGT)に参画。大手リハビリ型デイサービス運営法人の教育責任者を経て、2017年に(株)ケセラセラに入社。同年、子会社のポポ・ケセラセラ(株)COO就任。2018年にポポ・ケセラセラスタジオ1号店を兵庫県姫路市のイオンタウン姫路内に開設。元クリケット日本女子代表チーム コンディショニングトレーナーとして2010年アジア大会に帯同(銅メダル獲得)。

“正しいことを教える”だけが教育じゃない。
ガチガチ頭をガツンとやられた新社会人時代。

新卒でフィットネスクラブにインストラクターとして就職。そこで学んだのは、理論的に正しいことを教えるだけが指導ではないということでした。体育系の大学を出ていたもんだから、当時はまだ僕の頭もガチガチで(笑)。「教えてやる!」っていう意識が先行しちゃっていたんですよね。それが現場の仕事を通して、サービス業の一環として指導することの意味が理解できるようになったわけです。相手に伝わってこそ、初めてインストラクターとしてお客様から支持してもらえる、時にはエンターテイメント的なインストラクションも必要なんだと。振り返ってみれば、その時の経験が今でも役に立っているかもしれないですね。その後はメディカルフィットネス用トレーニングマシンのメーカーに転職。僕はインストラクターの経験があったので、いつしか新しい商品の検証やトレーニングに関する資料作成も僕が担当するようになっていました。

日本で初めて要介護高齢者に対しするマシンを使ったプログラムが開発された時代。
パワーリハの教育は、僕のライフワークになる!

2000年から介護保険がスタート。それと同時に要介護高齢者のリハ手法として、日本で初めてトレーニングマシンを使ったリハ手法が開発されました。それがパワーリハビリテーション(以下、パワーリハ)です。その頃の僕はというと、要介護高齢者や介護保険に関してはまったくの素人で(笑)。それでもパワーリハを全国の施設に導入する部署の責任者だったものだから、マニュアル作成や教育プログラムの開発に従事しつつ、顧客教育のために全国を飛び回っていました。その甲斐あってか、導入先ではどんどんパワーリハの成果が現れ始めました。パワーリハが導入されたのは多くが介護保険施設で、従事するのは運動の素人である介護スタッフだったわけです。でも、しっかりと研修を行って、その通りに運営と指導ができれば成果が出る、しかも驚くような成果が。パワーリハプログラムの完成度が高いのはもちろんのこと、教育が打てば響く、現場のスタッフの皆さんや経営者の方々と一緒に喜ぶことができるパワーリハの世界に僕はどっぷりハマってしまいました。 その頃はメーカーによる教育プログラムの有無や質が問われる時期でもあって、要介護高齢者の改善効果が事業所の評判や稼働率の向上に影響し、結果的にトレーニングマシンの売り上げにも直結していました。「パワーリハの教育は、僕のライフワークになる!」そう確信したのです。

時代の流れ、人の移り変わりの中で、
僕が作り上げてきたそれまでの運営システムが壊せなくなっていた。

そんな中でいち早くパワーリハを取り入れて、「しっかり成果を出すこと」を標榜していた有限会社ポラリス(現在の株式会社ポラリス)にパワーリハ責任者として入社したのが2008年。当時はまだ6つしかない直営事業所でパワーリハの指導をしていました。2010年から多店舗展開をスタートすることになって、僕もそれに合わせて新人研修やレベルアップ研修を実施、事業所数が毎月のように増えていく中で研修カリキュラムを整備、合わせて運営マニュアルを毎月のようにアップデート、教育用の各種資料を作成するという充実した毎日を送っていました。事業所に何度も足を運んで、そこで感じた現場感覚を教育にフィードバックしていました。ある意味、僕の教育責任者としてのかたちはここで確立できたと思っています。そうこうしているうちに事業所数が70を突破したわけですが、自分が作り上げたそれまでの運営システムが、今度は僕自身が次にやりたいことの妨げになっていることに気がついたのです。以前は正しいと思っていたことでも、時代の流れや人の移り変わりに合わせて変わっていくことってあるじゃないですか。自分では変えたい、と思っていても、すでに変えようがないくらい定着してしまっているという現状。僕自身が作り上げてきたものが、次のチャレンジを邪魔するような感覚っていうのかな?気づいたら簡単には壊せなくなっていたのです。

僕が、僕自身をブレイクスルーするために。
50歳を前に生まれた新たな夢。

これはやばいと思っていたちょうどその時に、ポラリスと繋がりのあったケセラセラが、これまでの常識を根底から覆すような新しい介護を、今のポポ・ケセラセラの取締役である佐々木(ケセラセラ→ポラリス→ケセラセラ)とスタートさせようとしていたのです。これが、ポポのKAIGO構想の始まり。歩けない人を歩けるようにするっていう概念は、介護のプログラムとしては最先端のことで、それを現場で育成教育できる人間は齋藤しかいないと鎌田CEOは僕の可能性について話してくれた。あんなにワクワクしたのは、本当に久しぶりでしたね。ケセラセラなら、パワーリハに止まらない様々なプログラム、介護保険にとどまらない事業、そして僕のライフワークでもある教育や育成ノウハウをもっと自由に発信できる環境が実現できるのではないかと思えました。こうして齋藤清昭は、50歳を前にして今までの僕自身をブレイクスルーするための道を選んだわけです。

MAKI
SASAKI

  • 佐々木麻希について

  • 介護の仕事に共感できなかったライター時代。

  • 奇跡みたいな
    ホントの介護との出会い。

  • 祖父の壮絶な介護。
    満を辞して介護の世界へ!

  • 介護の枠を超えて
    介護のイメージを変えたい!

  • 経歴

  • STORY01

  • STORY02

  • STORY03

  • STORY04

ポポ・ケセラセラ取締役

佐々木 麻希

2011年、親会社である株式会社ケセラセラに入社。取材インタビューを中心にライターとして勤務する。 2013年に取材で訪れた介護事業施設で自立支援介護という取り組みについて知り、未経験で現場の介護スタッフに転職。現ポポ・ケセラセラ代表の齋藤のもとで「自立支援介護とパワーリハビリ」の専門性について学ぶ。その後、本部で広報部と人事部の業務を兼任し、新たなソリューション実現に向けて再び株式会社ケセラセラに復職。介護R&D事業部設立を経てポポ・ケセラセラ株式会社の取締役に就任し、現在に至る。

“お世話する”という介護の仕事に
どうしても共感できなかったライター時代。

新卒で入社したのが、後にポポの親会社になるケセラセラでした。BtoBを中心に広告プロモーションをおこなっている大阪のデザイン会社で、私はそこで主にライティングの仕事を担当していました。その頃から取材のために高齢者施設を訪問する機会はあったのですが、介護の現場にはどの業界にも当てはまらない独特の空気を感じていましたね。運営方針にはそれぞれの法人ならではの熱い想いがあるのですが、実際の現場は“できなくなったことを代わりにお世話する”というのが一般的でした。入浴介助やオムツ交換など、必要な仕事であることは理解しつつ、どんどん弱っていく高齢者の身のまわりのお世話をするという介護そのものにはどうしてもやりがいを感じられなかったんです。

歩けなくなった人が歩けるようになる!
奇跡みたいなホントの介護との出会い。

私の介護に対するイメージが一変したのは、兵庫県にあるデイサービスの取材に訪れたことがきっかけです。そこでは高齢者のお世話をする介護ではなく、“できなくなったことをもう一度できるようにするための介護(自立支援介護×パワーリハ)”が実践されていました。その実際の現場を案内してくれたのが、現在のポポCOOである齋藤さんだったんです。齋藤さんや利用者様の生の声を聞かせていただいた時に伝わってきたのは「元気になりたい」「良くなりたい」というポジティブな感情でした。介護する人、される人に共通の目標があって、それを達成する喜びを分かち合えるから頑張れる。この前向きな取り組みが介護のスタンダードになれば日本の介護は絶対に変わる!そう考えるだけで、心がワクワクしました。

何もできなかった祖父の壮絶な介護。
満を辞して介護業界に転職!

父方の祖父が病院に搬送されたという知らせが飛び込んできたのは、入社から2年半が過ぎた頃でした。祖父の認知症は急激に悪化し、そこから半年を超える壮絶な介護の末に病院で息を引き取りました。過去に母方の祖父を全く同じ状況で亡くしていたこともあり、悔やんでも悔やみきれない結果に自分の無力さを感じずにはいられませんでしたね。この出来事をきっかけに、私は私自身が介護の専門性を学ぶことで、介護に苦しむすべての人たちに介護にも選択肢があるということを知ってほしいと思うようになりました。一度決めたら一直線に突っ走ってしまう性格なので、そこから転職までの展開は早かったです。私は満を辞して齋藤さんのいるデイサービスに転職することなりました。現場では介護職員として勤務していたのですが、人肌に触れ、目を見て話し、身体の動きについてアドバイスをするという仕事には今まで感じたことのない責任と大きなやりがいがありました。とにかく現場が好きで好きでたまらなかったんです。齋藤さんは関東のSV(スーパーバイザー)だったので、関西の現場に配属された私と顔を合わせるのは齋藤さんが講師を務めるパワーリハ研修の時だけでした。新しいことを吸収したいという気持ちが人一倍強かった私にとって、現場を見ていたかのように的確なアドバイスをくれる齋藤さんはまさに神様でしたね(笑)。

介護の枠を超えて、
介護のイメージを変えたい!

それからしばらくして、私は兵庫県にある本部で広報と人事の仕事を兼任するようになりました。現場スタッフからの意見や要望をツールに落とし込んだり、新卒メンバーの面接や研修を担当したりと、いろんな分野で組織全体の成長に貢献できる人材になりたいと奮闘していました。ただ、全国に点在するデイサービスの質を維持しながら革新的なプロジェクトに挑戦するというのは、組織の体制も含めて一筋縄ではいかないことばかりでした。何より苦しかったのは、“失敗できない”という恐れからルールに従って行動するようになっている自分に気づいた時です。そんな自分をどうしても変えたくて、私は後先考えずに会社を辞めることにしました。そのことを知ってか知らずか、ケセラセラのCEOから突然連絡があり「介護事業を立ち上げないか」と声をかけていただいたんです。真っ先に浮かんだのは、私と同じように新たな道を模索していた齋藤さんの顔でした。介護の現場には齋藤さんの力が絶対に必要だということは確信していたので、そこからは一心不乱に猛アタック(笑)!こうして私は齋藤さんと一緒に介護とは無縁のデザイン会社の中で、今までにない介護事業の立ち上げに挑戦することになったんです。

今までにない、
新しい介護のかたち。
家族のかたち。

ポポは介護業界を取り巻くさまざまな社会問題を
まったく新しい介護の価値創造とデザインの力で変えていく。

介護×デザイン 介護する人も、される人も、さぁみんな一緒に。 介護×デザイン 介護する人も、される人も、さぁみんな一緒に。

OUR VISION

OUR VISION

PHILOSOPHY

  • 介護を超えていく

    SDGsの17の目標の1つにある「すべての人に健康と福祉を」の実現に向け、介護の枠にとらわれない自由発想で新たな価値を創造する。

  • エイジズムを排除する

    高齢者や疾患、障がいに対する偏見や固定観念をなくし、それぞれが持つ価値観や個性を尊重できる社会を実現する。

  • “自分ならどうされたいか”を
    考え、動く

    心からの愛情と関心を持って人と向き合い、“自分ならどうされたいか”を考え、行動することによってハッピーの連鎖を生みだす。

  • 実践と結果で貢献する

    一人ひとりの生活目標にコミットし、疾患や障害に応じたベストなトレーニングを実践することで持続可能な地域での暮らしに貢献する。

  • 美意識を持つ

    洗練された手順や形式に存在する“様式美”を意識することで、身だしなみはもちろん、自身の振る舞いを客観的に見る力を養い、同時に運営そのものに対する「美」を追求する。

  • 人間力を高める

    一人ひとりが「知識」「技術」「教養」「経験」を高め、マニュアルやルールに左右されることなく、目の前で起こり得る事象に柔軟に対応できる豊かな人間性を磨く。